とある起業家の食べない妄想グルメ

グルメなのに少食。実食レポの他、世にも珍しい巷の情報を頼りに食べたつもりで書いちゃうブログ。

親の優しさに甘えてはいけない

 

先日父親と一緒に食事する機会がありました。

 

起業することを話したとき、特に反対することもせず「頑張れ」と言ってくれた父親ですが、とはいえ気になるようです。

 

 

 

心配な父親

 

応援したい気持ちもあってか、私が渡した会社の定款のコピーを大事そうに眺めていて、「どんな事業を始めるんだい?」と聞いてきます。

 

お酒を酌み交わしつつ、一緒にいた兄にも自分のやろうとしていることを説明しました。

 

古風な父親で、ガラケーを使いこなすのがやっとなものですから、webだとかアプリだとかって話をするのが恥ずかしく感じてしまいました。

 

「どうせ理解してもらえないだろうなー」という思いもあったかと思います。何せそんな昭和な父親は「ネット何て虚業だ」と日頃から批判的な意見を述べていたのですから。。

 

ためらいつつも話すと、「なるほど~」「へぇ~」といった感想が。おそらく自分のこれまでの知識をもってして何かを発言できる分野ではなかったのでしょう。面白いことを思いつくなーといった様子で聞いてくれました。

 

 

内心は心配なんだろうと思います。そして「そんなんで大丈夫なのか??」と不安に思っているんだろうと思います。

でも息子がこうして一生懸命に語る様子からそんなことはとてもじゃないけど言えなかったんだろうと思います。

 

応援したい父親

 

翌日実家に帰る父親が「頑張って頑張って、それでもどうしようもない時は早めに言いなさい。何とか父さんでもできることはあるかもしれないから」と言ってくれました。

もしも万が一の時、息子が困った状況になったら助けてあげたいという親心から言ったことなんだと思います。

 

そういってくれるのを、私はとてもとてもうれしく思いました。

 

 

甘くない世界

 

でもそこで甘えるわけにはいかないのです。

 

僕は退路を断ち、背水の陣でこの世界に飛び込みました。

引くに引けない状況だからこそ、必死になって頑張れるんだと思います。

 

 

自分は周りの環境に良い意味でも悪い意味でもなれてしまう人間で、ぬるま湯につかってしまうとずっとそこにいたいと思ってしまいます。

 

将来安定、仕事もスキル相応、な職場にいれば、「このまま楽して定年を迎えられるならいいかなー」と思ってしまう。

逆に実力主義、同期がみんな一つ上の次元で物事を会話してる、となればライバル心をむき出しにして、何とかみんなに追いつき追い越したいと、必死に努力します。

これまでぬるま湯につかり、「悔いのない人生を歩み続けたい」と思う自分を見失いかけていました。

目を覚まして、挑戦と成長を続けられる環境へと場所を移したのです。

にもかかわらず、ここでセーフティネットとして、親の力をあてにしてしまえば元の木阿弥です。

 

ある人が昔こんなことを話していました(結構昔なので一部個人的な意見が混ざってるかもwww)

 

若者の言葉には情熱とパワーが感じられる。がしかし、それは全体の99%の部分であって、残り1%に『逃げ』を残している者が多い。その1%の『逃げ』を0に、己のすべてをかけるやつの情熱とパワーにこそ、魂を揺さぶる力が一つ一つの言葉に宿り人を動かす

 

これをやってみたい。あれになりたい。

そう語る人の心に、実は少なからずダ失敗した時の逃げ道が用意されている。

でもそれは隠していても人に伝わるものなんですね。

 

夢や目標を語るその眼が濁ってやしないだろうか。

一点の曇りなく人に語る勇気があるだろうか。

 

少なくとも起業するということはそういうことなんだろうなーと「今は」考えています。

1年後どう考えが変化しているかは経ってみないとわかりませんが。。